考え方の履歴
いきなりスピリチュアル方面に振れて自分でも驚いている日々ですが、とても楽です。向いているということは楽に生きられる、いままで否定してた頃には出なかった新しい太陽線が伸びたり太くなったりしています。嘘みたいだけど自ら実証を得たので信じられます。
私は大学の志望がぼんやりしていたので、うっすらやりたかった心理カウンセラーの興味で私大は心理学科を受けていました。あとは体裁で国立の教育学部と、なんか似てるのと一人暮らしめっちゃしたいからっていうだけで離れた校舎にあった社会学科。本心は哲学科いいなあって思ってたけど、その先を考えたら夢見がちで現実的じゃないなと外してました。
それで国立落ちて私大の心理か社会かという選択で、一人暮らしの方を取ってしまいまして(両親には申し訳ない!)
社会学科って何やってるかというと、ひたすらディベート(朝まで生テレビみたいな)とレジュメ発表、試験はすべて論文、あと統計学です。口喧嘩は絶対負けない力を養ってどーするねん!という感じでしたが、それは冗談で、ものの見方が養われました。常に逆の立場で見たらどうだろう、その思想はどんな実証から得られたのだろうと。その段階は全く自分の主観を入れてはならない。意見は最後の最後に添え物みたいなもの。そこに導くために、すっごい調べものをして用意周到に徹底的に勉強しておく。それが社会学。国民生活白書をどんだけ読んだだろう?みんな国勢調査はちゃんと書いてくれないと困るよ。
そんな経緯で理論武装することは増えたけど、自分の自由な主張がめっきり弱くなったのはマイナスの影響。手相への拒否反応もきっとここからでした。実証に基づく統計学と気付くまで長かった…。
でも結果的に自分の長所でもある説得力はここから培われてるなと思います。95年前後、まだ一般的にはインターネットのない時代だったので暇で暇で…毎晩飲み会か部室でマリオゴルフばっかりやってましたが心理学への憧れは捨てきれずフロイトの夢判断などのそっち系書籍もよく読んでいました。書いていて思い出したけど、ザ!社会学といえばデュルケムの自殺論もお気に入りでした。別の大学の友人の卒論まで手伝ったような記憶が。。あの頃他にやることないからいちばん頭が冴えてた(笑)。あと論文というと難しそうなイメージですが、誰にでもわかりやすい、なるべく平易な言葉で書くというのは基本で学びました(教授の方針だったかも)。
ITフリーランス時代には業務委託で広告業界にも常駐していたけど、ウェブ製作といえば9割はそのページを見せてモノを売ったり何かの宣伝をするわけで、表現の方法はいろんなアプローチがあります。大手広告のときは専門のライターがいたので楽でしたが、個別案件は圧倒的に自分で書いていました。小難しい言葉を並べたってひとの心には届きません。子どもでもわかりやすい、でも誤解を受けない言葉を紡ぐのが難しさであり面白さでもあり。手相鑑定のときにも全く通じます。
現在はほとんど主観で発信していますが、やっぱり脳内回路は半分そんななので1日の大半は無意識に調べものをしています。誰もソース出せって言わないけどね。グーグル万歳。
迷走しつつも、自分の考え方履歴でした。
展望としては、義務教育で「考え方」としてプログラミングを教えるなら(っていつ実現するのw)、子どもたちにはプラスして「ものの見方」として検索のスキルを身につけさせてほしい。国語で辞書の引き方を習うんだから、特別に検索の時間を作ってもいいくらい。検索だってアプローチで全く違う答えが出てくるので、スキルがモノを言いますよ。
子どもの頃は親に何か聞くと「忙しいから自分で辞書で調べなさい」と言われていたけど、最近はオッケーグーグル、ヘイシリで良いなんて素晴らしい時代です。これもし読んでる方がいらっしゃったら、ぜひお子さんといろんな言葉で調べ物をして遊んでみてください。
ところで、小さな端末で何でも正解がでちゃうのに、AIに乗っ取られずに手相をはじめ、星や方角や風水など様々な占いがいまだ人気なのはなぜか。アルゴリズムを使ったゲーム的な占いはあるけど、実際その人全体から発する雰囲気(めちゃくちゃぼんやりしている!)を掴み取っているわけじゃないからでしょうか。人間のパワーってすごい。
今後も自分が納得して信じられることだけをお伝えしていきたいと思っております。いわゆるトンデモ系は華麗にスルーしますが、50も近くなってくると私調べの面白くかつ実証済の薀蓄も実はいっぱいあります。また追々。